2024年09月04日

英田サキ先生、もしくはイダさんに

英田サキ先生のご訃報に接し、覚悟をしていたこととはいえ、喪失感に打ちひしがれています。


私は、英田先生とは、先生が一次創作同人サイトをやっていらしたときからの知り合いなのです。
あのときから、英田先生は……――と言うと、なんか、違うので、いつものようにイダさんと呼ばせてやってください。
そう、イダさんの小説は、『栴檀は双葉より芳し』、あの頃から、違っていました。「そのもの」が文章から立ちあがってくるんです。そういう力が、彼女の小説にはすでにありました。

そのあと、彼女はデビューされ、あとは、皆様ご存じの通り、活躍されました。私は彼女が『エス』を執筆されたあたりから、自然と離れてしまったのですが、自分のデビューが決まったときに真っ先に連絡したいと思ったのは、イダさんでした。
イダさんは、まったく変わってなかったんですよ。
そんなこと、ある?
向こうは、もう、大御所で、私なんて、ぺーぺーもいいところなのに。
「わー、えだまめさーん。お久しぶりー」って、とてもフラットで気さくに話してくれるんです。ブランクの時間なんて、なかったみたいに。昨日も会ったんじゃないかって、錯覚するみたいに。
それで、デビュー作には彼女に帯を書いていただいたんでした。

イダさんは、いたらないどうしようもない私にも、たいそう優しかった。でも、自らにはとてつもなく厳しい方でした。
「書いた小説に満足できたことがない」と言うんですよ。彼女が。あの方が。
「ええええーっ」じゃないですか?
あと、おもしろかったのは、「ぜんぶ文章でやってくる」ってところでしょうか。私は、情景が浮かぶから、それも新鮮でした。

尊敬する先輩であり師匠的存在でありながら、イダさんのフラットな性格のおかげで、どこか妹みたいな気持ちを抱いておりました(ごめん、イダさん。でも、きっとイダさんなら怒らないと信じてる)。
会うたびに「あれ、私、この人ときのう会ったんだっけ?」って思うんです。
最後に会ったのは、去年の四月でした。東京駅に、彼女を見送りに行ったんです。まだとても元気で、空がめちゃくちゃきれいで、トラヤカフェで二人で話してて。そのときに、彼女が言ったこと。
「だんだん小説がうまく書けなくなってきているけど、でも、幸せ。幸せのハードルが下がっているみたい」
衝撃でした。あれほどに小説を書くこと、商業作家であることに誇りを持っていらしたイダさんが、こんなことを言うなんて。
それと同時に、私が思ったのは、「ああ、この方の現世での修業の旅は、もう、終わりかけているのだ」ということでした。小説を書くのは、楽しいけれど、同時にとてもつらいことです。その、つらさを存分に味わい尽くした彼女のこの言葉の重みに、私は打たれました。
イダさんは「死ぬことは怖くない」とも言ってらして、それはおそらく本音だったと思います。けれど、彼女を愛する方たちのために、がんばって生きてくださったんだと思います。

でも、悲しい。
もっとなにかしてあげられたのではないか。そう思ってしまう。
けれど、人には踏み込めない領域があり、それは、できなかった。
とにかく、悲しい。
このような深い悲しみは、親にさえ与えてもらえなかった。

わたしは、彼女の個人的な深い慟哭を知っています。それが彼女の小説を彩っていたのも知っています。そして、今、彼女が、私に受け止めきれない悲しみを与えていったのが、彼女からのこの世での最後の贈り物であるような気がしています。

読者さんのために魂を削りきって、身をなげうち、小説を書いて下さったイダさんの、現世からのご卒業を、見送りたいと思います。
亡くなった方の魂は、どこに行くのでしょう。
次の世に行くでも、大いなるものにとけるでも、その前にはとにかく温泉でのんびりっていうのが、私の好きな説です。イダさんには温泉で、できるだけゆっくりしていてほしいなあ。それで、できたら、私が行くまで、待っていてほしいなあ。
そのときには、きっと「あー、えだまめさーん」って、昨日まで会っていたみたいに話してくれるのに違いないのです。
そう考えると、私にとっても、いつか死ぬことはそれほど悪くないと思えてきます。

とりとめもなく
ナツ之えだまめ


PS.
最後に交わした言葉を思い出しました。
私が腰をゆわしていたので「お大事にね」って。
え、自分のほうがどんなにかつらいのに。そんな人、おる? そんな優しい女神みたいな人、おる?
わー、やっぱりむりむりむり! 会いたいよー!


posted by ナツ之えだまめ at 12:59| 日記